Reco MEN2020/05/15
歌舞伎俳優
二代目「 尾上松也」
歌舞伎をはじめ多方面で活躍する役者の思い、伝統の中に改革を吹き込む挑戦者。
〈新境地を聞いた新作歌舞伎〉
日本中で愛読されているきむらゆういち作の絵本『あらしのよるに』。
主人公の狼「がぶ」を演じる中村獅童さんが絵本と出会い尾上松也さんを山羊「めい」役に誘って歌舞伎舞台化。現代の絵本を基にした歌舞伎は初の試みで人間役が一切出てこない作品もこれが初めてとなる。
初演は2015年、京都の南座。翌年、早くも東京の歌舞伎座で再演され札止め(満席)に。そして、満を持して博多座へ。発案者の獅童さんとともに中心となるお役を勤める松也さんに本作に懸ける意気込みを聞いた。
「初演の1、2年前、獅童さんの楽屋にご挨拶に伺った時『実はこんな作品があるんだけど一緒にやらない?』とお声を掛けて頂きました。当時、私はやっと皆さんに名前を憶えて頂けるようになったころで、こんなに大きなお役はあまり経験していませんでした。そんな私に責任あるお役を与えてくださった獅童さんの心意気姿勢に感銘を受けましたし、なんとかこのお芝居をいいものにしていきたいと強く思いました。」
本作は人間役がひとりも登場しない異色の新作歌舞伎。元来、歌舞伎では狐など人間以外を演じるための型が代々受け継がれてきた。本作でもそれぞれの俳優がしぐさや振る舞いでいかに狼らしく、山羊らしく見せるか古来の型を参考に模索しながら作り上げたという。
また、見得やだんまり義太夫(※)など古典歌舞伎の技法を存分に生かしながら、絵本の世界を表現している。「めい」役の松也さんは「獅童さんが声優として演じた映画版を拝見していましたので、「めい」を演じるにあたっての方向性は初めからイメージができていました。あとは草を食べる山羊の映像を見たり蹄の型を作って実践してみたりと、少しずつ「めい」のイメージに近づけていきました」と話す。
〈初演を迎えるより前に感じた確かな手ごたえ〉
松也さんが経験した、初日を迎えるまでの思いとは。「通常、新作をお披露目するときはお客様に喜んでいただけるだろうか受け入れていただけるだろうか」と初日の幕が開くまでは誰もが不安に駆られます。
ところが本作に関しては、獅童さんが引っ張って下さって稽古の段階から「絶対に成功する」と確かな手ごたえがありました。実際、お客様に喜んでいただいてどんどん反響が大きくなっていきました。特にお子さんがあんなに笑ってくれたのは舞台では初めての経験でした。
本作はどんな方でもリンクする部分がある作品だと思います。私は「がぶ」との関係が大好きです。見る方によっては友情と感じるかもしれないですし、兄弟愛に感じるところがあるかもしれません。それぞれの立場で、お好きなように楽しんでいただければと思います」と、自信を見せる。
〈松也さんが考える歌舞伎俳優像〉
松也さんが歌舞伎俳優として心がけていることとは。
「よく古典演劇・古典芸能と言われますが、私は歌舞伎の舞台に立つときは、現代演劇という意識を持ちながら演じています。古い時代に完成した演目をそのまま受け継ぐだけではなく、今の時代にどんなものが愛されるかを考えながら表現することを心がけています。さらに未来に繋いでいくためには、守るだけではダメだと思うんです。基礎をしっかり身に付けた上でなければ、革新的なものを取り入れてはいけないという意識もあります。『あらしのよるに』は革新的な作品に分類されると思いますが、人気の古典の演目も何百年か前の初演の時は新作だったわけですよね。本作も遠い未来、古典として愛される作品になってほしいと思いながら演じています。先人から受け継いだ歌舞伎の表現力をベースに、私たちが今できることを全力で注ぎ込んだという意味では、非常に理想に近い作品になったなと感じています。革新と伝統・継承のどちらも常に意識する事が大事だと思います。ですので、獅童さんから人間役が一人も出てこないことを聞いた時も、驚きは不思議とありませんでした。どのように演じればうまく仕上がるか考えながら作り上げていくのは大変さと同時にやりがいもありました。また、南座、歌舞伎座でお披露目して博多座が3度目の上演となるわけですが、まったく同じように演じているわけではありません。その時その時に一番良い舞台を目指した結果、少し変わっていく部分があります」。
※義太夫・・・場面の状況や登場人物の心境などを語るナレーションのようなもの
〈革新のひとつが本作の年齢制限の引き下げ〉
通常、博多座で歌舞伎は小学生以上からしか観劇することができない。ところが、今回はその制限を引き下げたという。「獅童さんの強い希望で『あらしのよるに』は4歳からご観劇いただけることになりました。本当に親子で一緒に楽しめる作品ですからね。子どもたちが思いっきり笑ってくれる歌舞伎ってなかなかありませんので、演じている私たちも楽しみにしています。だからといって決して子ども向けに作ったわけではなく、登場する動物たちを歌舞伎の技を駆使しながら役者が全力で演じています。どの世代でも楽しめるようにと思いながら作り上げた作品を見て、結果的に子どもたちが笑ってくれるのはとても嬉しいですね」と松也さん。獅童さんが絵本と出会い松也さんを誘って歌舞伎となった『あらしのよるに』。ふたりが挑戦する「がぶ」と「めい」の友情物語に注目したい。
〈20年以上訪れている福岡の印象とは〉
全国各地で舞台に立つ松也さんに福岡に対する印象を聞いたところ、「私にとって、福岡のイメージは『食べ物』と『空気』なんですよ。まず、食事がとにかくおいしい!初めて伺ったのは10代の頃でしたが、先輩方に連れて行っていただいたお店がおいしいところばかりで驚きました。締めにラーメンを食べるというのも福岡で初めて経験しました。豚骨ラーメンにはまって、一蘭などにも行きました。舞台で伺う時は1カ月ほど滞在することが多いのですが、若い頃は10キロ太ってしまったこともあります。(笑)もうひとつは『独特な空気感』です。仕事でいろいろな街を訪れますが、福岡だけは空気が違うのを感じるんです。リゾート地の解放感といったような。これは福岡の方の気質でそう感じるのかもしれません。福岡は男性も女性も情熱があるというか、とても律儀ですよね。私はひとみしりなのであまりありませんが獅童さんは飲食店で他のお客様に声を掛けて盛り上がることがあるんです。仲良くなって『舞台を見に来てください』とお話ししたら、後日本当に来てくださるんです。普通は社交辞令だったりしますが、福岡の方はハートがあるなと思います」と教えてくれた。
〈松也さんが経験した人生の転機とは〉
松也さんといえば、歌舞伎をはじめ数々の作品で引っ張りだこの人気俳優。しかし、若いころから順風満帆だったわけではなかったという。
「ターニングポイントは20代の頃蜷川幸雄さん演出の『ボクの四谷怪談』という舞台に立たせていただいたことです。当時、歌舞伎俳優として大きなお役をいただけるチャンスが少なかったので、歌舞伎以外の舞台にも挑戦したいと思っていました。そんな時に偶然お声を掛けていただきました。芝居もできる、歌も歌えるという舞台でしかも演出はあの蜷川さん。これは大きなチャンスだと思い、文字通り命がけで、全力で取り組みました。他の若手の俳優さんに負けたくないと奮起して挑みました。そうしたら、初日を偶然見にいらしていたミュージカルの演出家の方にオファーをいただくことになったんです。また、数年後、ドラマのオファーをいただいた際も監督さんに「あの舞台を見て決めた」と言っていただきました。ですので蜷川さんの舞台に出られたことは、自分の中で大きな転機となりました。役者として大きな一歩を踏み出すきっかけをくれた作品で、感謝しています。自分を大きくしてくれた。少しずつ歌舞伎の世界での立ち位置も変わっていった。それから大きなお役をいただける機会が少しずつ増えました」と当時を振り返る。
〈歌舞伎以外にも活躍の場を広げる松也さん〉
歌舞伎以外の仕事に挑む際に松也さんが大事にしていることを聞いた。
「まずはどんな仕事も一生懸命全力で、そして楽しむことを大事にしています。ミュージカルや声の仕事、映像の仕事どんな仕事でもすべてを出し切るってことですね。その先が何かに繋がっていると常に意識して演じています。ですので、『ここで失敗したら終わりだ』という強い危機感を持って仕事をしています。我々俳優の仕事は数字では計れないものでお客様や仕事をいただく方に判断されるものです。どんな仕事でも誰かに見られているという意識を持っています。また、歌舞伎以外の仕事をいただく時は自分が歌舞伎俳優であることをベースに必ず置いています。これはパフォーマンスに関してもお客様に対しても。良い仕事をして、それがきっかけで興味を持って歌舞伎を見に来ていただけたらうれしいですからね。また、歌舞伎以外の舞台やテレビなどで演技をさせていただく時は負けん気が出てきます。あまり表には出しませんが負けん気は強いと思います。私が変な演技をして、歌舞伎のイメージを落としたくないという気持ちがあるんです。他の俳優さんの舞台を見に行った時も感動するのですが、『負けてられない!』とも思ってしまいますね。これは異業種の友人たちで頑張っている方を見ても同じです。私にとっては負けん気が、舞台で演じる上でのモチベーションになっています。次の舞台に向けてのお稽古が常にありますから、それを初日に向けて完成度を高めていく時間がとても楽しいです。別の仕事などで3日くらい空いてしまうと早くお稽古がしたいと思いますね」と松也さん。
負けず嫌いという意外な一面が俳優としての成長を支えてきたのだろう。
目標に向かって頑張っている人たちに向けてのメッセージ
最後に読者へのメッセージを語ってくれた。
「私は危機感を持つことがとても大事だと思っています。後ろから追いかけられているくらいのプレッシャーです。そして、夢や目標を持ち続けること。たとえ根拠はなくても自分の中で達成できると思い込んで、諦めずに信じ続けることが成功への第一歩だと思います。もちろん、チャンスを持っているだけでなく努力をすること、自信を持つことも必要。諦めずに努力し続けてそしてチャンスが来たら絶対につかみ取るという強い意志が必要だと思います。自信はとても大事で自信がある方って魅力的ですよね。でも、行き過ぎてしまうと騎りになることもあります。謙虚さも忘れずに持ちながらバランスを取ることが求められるのではないかと思います。実際、根拠のない自信は私にもありました。
若い頃、当時の自分は到底実現できないようなことをいろいろと思い描いていましたが、その夢はすべて叶えることができました。すると、また新しい目標ができて、そのために努力を続けることがモチベーションになっています。昔は先輩の胸を借りて、背中を見ながら与えられたお仕事を全力でやることで精一杯でした。現在は自分の責任でお仕事をさせていただく機会が増えてきて、周りの方たちのことも考えながら行動できるようになってきました。日常生活の中でも自分を磨いて、どう期待に応えていくかを常に考えています。自分の現在などを踏まえながら、今後もさまざまなことに挑戦していきたいと思っています」。
profile
尾上松也
1985年生まれ。父は六代目尾上松助。
屋号は音羽屋。1990年5月
「伽羅先代萩」の鶴千代役にて
二代目尾上松也を名のり初舞台。
子役を経て、10代の頃は
女方を中心に修業を積む。
近年は立役として注目され
「鳴神」の鳴神上人
「元禄忠巨蔵~御浜御殿綱豊卿」の徳川綱豊卿
などの大役を任せられている。
また、歌舞伎以外の舞台や映画・ドラマなど
ジャンルを越えて活躍中。
Interview 2018年10月発行
Vol.4掲載記事より
No:88